2014年12月14日日曜日

愛と狂気とYEAH! YEAH!

このブログを読んでいる人の中で何人くらいが、友人の気が狂ったり、自分自身気が狂ってしまった経験があるのだろう?
ブランキーの“ディズニーランドへ”という、頭がおかしくなって狂ってしまった友人との関わりを上手く歌った名曲がある。
ブランキーが大好き!YOKです。

おれは子供の頃、気が狂うということに少し憧れを抱いていた。
でも、いつからだろう?気が狂うことに恐怖を覚えるようになったのは。
昔読んだ筒井康隆や村上龍の小説に描かれていた、気が狂う瞬間の描写があまりにもリアルだったからかもしれない。
子供の頃の気が狂う遊びは現実に戻ってこれる。
筒井康隆や村上龍の小説には、あっちの世界に行ったらもう戻ってこれない感じが強烈にあった。

多分、ほとんどの人が心は自分の芯だと思っているだろう。
だから「心が変わる」というのはおかしいと思うのだろう。
心が変容することをわからない人が、心の病というやつになるのかもしれない。
歳をとって体力が落ちてきたから運動して体を鍛えたり休んだりして調整するように、心も休ませたり鍛えたりしないといけないのだと思う。

長い人生のうち、落ち込むことは何度もあるだろう。
スポーツならハードルを飛び越える練習をするように、落ち込んだり挫折した時、それを乗り越えられる練習をしていないと駄目なのだと思う。
ハードルなんて何回倒しても次は頑張ろうと思えるのに、心の失敗はベッドから起き上がれないくらいに感じてしまう。
でも本当は、ハードルを倒したのと何ら変わらないはずだ。

これを読んでいる人の中には、ここまでのおれの発言に反発や違和感を覚える人も多いと思う。
心こそが全ての芸術を生む。
気が狂ったような人こそ素晴らしい芸術を生む。
本当にそうだろうか?

おれの好きな作家に、ウィリアム・バロウズという人がいる。
1950年代のビートジェネレーションを代表する作家だ。
この人はいわゆるジャンキーで、嫁をウィリアム・テルごっこで撃ち殺したような人でまさに気が狂ってるという感じだが、彼の作品はドラッグの産物ではない。
彼は『Nova Express』『Heavy Metal』『Soft Machine』『Brain Police』などの素晴らしい言葉を生み出しているが、それは「カットアップ」という、タイプライターで打った文章を切り取り、繋ぎ合わせ、気に入った言葉を抜き取るという作業から生まれたものだ。
ドラッグでぶっ飛んだ感じを擬似的に作る。
ぶっ飛んでたら何も作れないのだから。
かっこいい。

初期衝動は素晴らしい。
多くのバンドの作品で「○○は1stが全て」などと言われることが多いのはそういうことだ。
初期衝動こそが全ての芸術を輝かせる。
しかし、そんなものはいつまでも続かない。
続けている奴は馬鹿である。
テクニックが必要になってくるが、テクニックが付きすぎると輝きが薄れていく。
芸術とはその葛藤だ。
アスリートが自分の肉体と闘っているなら、アーティストは自分の心と闘っていると思われがちだが、彼らが本当に葛藤しているのはそういうところなのだと思う。

最後に、ソニック・ユースのサーストン・ムーアの話を。
「朝起きて、ロビーで仲間と合流し、ドトールで簡単な朝食をとってコーヒーを飲む。そうすると大体10時くらいで、レコード屋の開店までまだ1時間くらいあるから、ハンズ辺りで時間を潰し、11時になったら開店と同時にレコードを漁る。これが僕らの日本滞在中の毎日」
素晴らしい。
フジロックで何万人から歓声を上げられるバンドのフロントマンが、未だ音楽にやられている。
そこには驕りなんてひとつもない。
あるのは音楽への愛だけ。

ROCKOVERはそんな愛に溢れているということで、12/20、お待ちしています。

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