2015年8月21日金曜日

ゼアイズアライトザットネバーゴーズアウト


 ライアン・アダムスがテイラー・スウィフトのアルバム『1989』をザ・スミス風に全曲カバーしたアルバムをレコーディング中であることをライアン自身がInstagramとTwitterで明らかにして話題になった。
なぜ話題になったかというと、この話を聞いたテイラーは自らTwitterでライアンに「本当なの?」と尋ね、ライアンから事実だと知らされ喜びのツイートをしたから。

 
いいね、この話。
何がいいって、テイラーの曲をわざわざスミス風にカバーするっていうところが。
ライアン・アダムスがテイラーの曲をスミス風にカバーするとどんな風になるのか想像もつかないけど、世の中には秀逸なスミス風カバーというかそのまんまスミスカバーがある。
少し紹介したいと思う。
 

まずはこれが最強。

 

それからYSGに教えてもらったこれもなかなか良い。




他にはこんなところも。
 




ここまできてスミスを知らない人にまずスミスとはどんなバンドか説明したいところだが、面倒くさいので概要はWikipediaから引用させてほしい。

ザ・スミス (The Smiths) は、イギリスのロック/ポストパンクバンド。
1982年、マンチェスターにて結成。
インディーズレーベルの「ラフ・トレード」に所属し、4枚のアルバムを出した後1987年に解散した。
モリッシーの気の滅入る、ねじれたユーモアのある歌詞や、疎外され恋愛に苦しむ彼自身を反映した歌詞は、若者文化の中の不満に満ちた層、チャートを独占するシンセサイザーバンドにはうんざりした層に支持された。
実質的な活動期間は5年程度と短く、国外ではさほどヒットしなかったものの、イギリスの若者には熱烈に支持された。
今日では1980年代イギリスの最も重要なロックバンドのひとつとして認知されている。
また、彼らの視点や音楽性は90年代を代表するブリットポップバンドや、世界の多くのオルタナティブロックバンドなど多くのアーティストに多大な影響を与えている。

……とまあ、このようなバンド。
おれも多分に漏れずとても影響を受けたし、好きなアーティストを訊かれると必ず挙げるバンドのひとつであるし、DJでもよく使う。
大好きなバンドだ。
活動期間は1982~1987年ということで、おれが1~6歳の間なので勿論リアルタイムでは追えなかった。
残念ながら後追いではあるが、当時のスミスの様子は様々な人が証言してくれているのでそれを紹介しながらおれのスミスに対する愛を今日はお話ししたいと思う。

スミスの最大の持ち味といえば、ボーカルのモリッシーの歌声とそのカリスマ性、そしてジョニー・マーのギター。
モリッシーはステージに立つ際にジーンズのポケットにグラジオラスの花を挿して現れていた。
服装はヒッピーのようで、首には安っぽいビーズの首飾りが何個も付いていた。
しかし髪の毛は長くなく、パンクとジェームス・ディーンを足して2で割ったような髪型だった。
耳には補聴器(伊達)を付け、そしてイギリスが貧しい人用に作っていた福祉的な眼鏡(伊達)をしていた。
さらにおもしろいのは、スミスのライブが始まると花束を持った20人くらいのファンが前に押し寄せてきたことだ。
この手法は今もマンチェスターのバンドに受け継がれている。
というか、セックス・ピストルズもそうだった。

イギリスで一番多い名字(日本でいう田中や佐藤)を名乗ったバンドは、当時のイギリスの状況を歌にしようとした。
ジョン・ライドン(ex.セックス・ピストルズ)が何とか変えてやろうとノーフューチャーと歌ったのに、モリッシーはそのままイギリスのどうしようもない若者の気持ちを歌った。 
ファッションの感じもジョン・ライドンとモリッシーは似ている。
ジョン・ライドンがモッズスーツやテッズ、ロッカーズ、パンクといった相反する服を着て人を煙に巻いていたが、モリッシーも初期の頃はヒッピー、50's、パンク、グラムなど相反する格好を一緒にして着ていた。

ロンドンっ子のジョン・ライドンは華やかなロンドンを知っていた。
だから何とかしろよ、という気持ちだった。
もう100年近くも暗いマンチェスターで生まれたモリッシーは、その現実を全て背負って生きていこうとした。
これがスミスの素晴らしさだったと思う。
ジョイ・ディヴィジョンもそうだったけど、モリッシーはそれを明確にしたのだ。
 
スミスが本当に素晴らしいのは1stと2ndだ。
ノーザンらしい難解な歌詞でイギリス人の心をくすぐった。
モリッシーのメロディは単調であり得ないくらいなのだが、たまに凄いメロディがあって、その辺はリバティーンズも影響されていると思う。
実質たった4枚のアルバムしか作っていなかったというのには驚かされる。

そして数々の素晴らしい12インチ。
モリッシーのデザインしたジャケットはどれも素晴らしかった。
そのデザインもソロになってからはトゥーマッチだったかもしれないが。
3rd、4thのモリッシーの歌詞の変化、シンプルに物事を表現しながらも人の心にありとあらゆる思いを生ませるのは本当に上手い。
英語がわからない人でも、この辺の歌詞はしっかりと入ってくると思う。

アメリカでは、スミスが好きな奴って駄目な奴の代名詞だったりする。
映画『(500)日のサマー』で、主人公がヒロインの女の子と初めて出会うシーン。
エレベーターに乗った主人公がヘッドフォンで音楽を聴いていると、一緒に乗っていたかわいい女の子が降り際に「わたしもスミス好きよ」と言って降りていく。
呆然とする主人公。
この、全てのインディー男子の妄想を具現化したような名シーンも、主人公が聴いていたのがスミスだったからこそ成立したのだ。
スミスだから、スミスなのに、あんな風に言われるなんて(しかもかわいい)。
これがレディオヘッドやファレル・ウィリアムスだったら成立しない。
そういうバンドなのだ。

モリッシーの歌詞は内省的で捻くれているが、決して「全て最悪だ、みんなで練炭自殺しよう」とかそういうことを歌っているんじゃない。
おれは若い頃にスミスを聴きながら、先がまるっきり見えなかったけど何か頑張ろうという気になった。
今もそれは一緒だ。

「今日は家に帰りたくない あの家は僕の家じゃない 彼らの家だ このまま前の車に突っ込みたい そうすれば今日は君のそばにずっといれる」
こんなアホみたいな歌詞でも、モリッシーが歌うとそれ以上になるのだ。
それがスミスの成功の秘密だったのだろう。
そしてそれが、イギリス北部の人の気質だと思う。

1st、2ndにはノーザンソウルの影響が凄くある。
スミスってファンキーだったんだな。
聴いてみてほしい。
最後のライブとなった『Rank』も聴いてみてほしい。
ロックです。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿