2015年4月7日火曜日

ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって


【くるり - ワンダーフォーゲル 】


 「最近ロックオーバーの面子に会わなくなったなあ」とふと思いました。
ロックオーバークルーもそうだけど、
ロックオーバーを介して友達になったひとびとも。

といっても30歳を越えた人間関係としては
わりと会ってる方だと思いますが。「以前より」って話ね。

少し前まで毎週のように、
何なら毎日のように会ってた時もあったんですけどね。
米子の歩道で「俺ら毎週会ってんなあ!」って
ちゃんよしが嬉しそうに言ってたのを未だに思い出します。

共通の知人にその話をしたら
「距離ができたんだね、そういうのさみしいねぇ」
と言われたんですけど、
そうなのか? そういうんじゃないんだよな、と思っております。

今はそういう周期(タイミング)なんじゃないかな、と。
 
* * * * *
 
アメリカンクラッカーってご存知ですか?

これ
 ↓

【アメリカンクラッカー】

下の2つの玉? ボール? がくっついたり離れたりして
カチカチぶつけて遊ぶオモチャです。

この単純な仕組みの何が楽しいのかさっぱり分かりませんが、
久しぶりに遊ぶとちょっとハマったりします。


わたしの中で「人とのご縁」はアメリカンクラッカーのようなものです。

くっついたかと思ったら離れる。
離れていたかと思ったらまたくっつく。


ロックオーバー周りの人とは以前より会わなくなりましたが、
「半年くらい会ってなかったよなあ」という友達と連絡を取ることが増えたり、
5年くらい連絡取ってなかった友達からとつぜん連絡が来たり、
ついこないだ初めて会った人と毎週のように会ってたり、
なかなか仲良くなるキッカケがないなあと思ってる人たちと急に近づいたり、
ぜんぜん会ってなかった中学校の同級生と急に会ったり、
何ならその親御さんとバッタリ会ったり、
まあいろいろしてます。

そうして今だけ近づいて、またクラッカーのボールが弾き合うように
離れたりするんだろうなあ、と思います。
それは「嫌い合って」とかじゃなくて。
そういうタイミングじゃなくなるから。

そしてお互い忘れなければ、
またどっかでかちーんと会ったりするのでしょう。
そのかちーんが「一瞬」かも知れないし、
「数ヶ月」「数年」かもしれないし。

ボールが離れてもう一度出会うまでが、
「1週間後」だったり、「3ヶ月後」だったり、
「10年後」だったりすることもあるんだろうなあ、と思います。

* * * * *

以前、セレクトCD用のフリーペーパーで
YOHEYBOYSとWATALLの対談(わたしも参加してた)
の時に言ってました。
「ロックオーバーが誰かの青春になればいい」と。

ロックオーバーは既にわたしにとって「青春」です。
「青春」とか「親友」とかいう言葉が大嫌いなわたしでしたが、
最近、「青春」っていいなあ、と思うようになりました。

青春時代を一緒に過ごした仲間は、それぞれ別の道を行って
離れる事があったとしても、きっと一生忘れません。

何年も会わなくなっても
「きっとどこかで元気にやってるんだろう」と思えます。

まあ、まだロックオーバーの人たちと
“何年も会わない”という状況にはなってないんですけど、
いつかもしわたしがドイツに国際結婚とかしに行っても(笑)
(※オリバー・カーンが好きです)
きっとロックオーバーのことを思い出しては
「楽しかったなあ」「みんな元気でやってるんだろうなあ」
と思うんだろうな、と思います。

そんでいつかまた、わたしがケツを骨折するくらい楽しかった時みたいに
みんなでお酒飲んで大笑いして
わーわー楽しむ事もあるんだろうなあ、と思います。

* * * * *

【覆水盆に返らず】って言葉がありますね。
わたしあれ大嫌いです。
何でわざわざ床にこぼした水を元に戻そうとするのか。

新しい水を汲めばいいじゃねえかと。
水道でも井戸でもどこからでも汲んでこいよ。

それは新しい人間関係をどんどん作っていこうとか
新しい環境に行こうとかそういう事じゃなくて、
同じ人相手でも同じ場所でも、気持ちを変えれば
「新しい関係性」や「新鮮さ」が作れるだろう、ということです。

自分の心を変えるのも嫌で、
床にこぼした水ばかり見つめて嘆いて、

そんなもん雑巾で拭いてしまえ、

っていうんです。


だからわたしは「昔を懐かしむ」というのはもうしません。
また新しいわたし(達)になって、
前と同じように、
いや前よりもっと素敵に楽しむ日が来るんだろうな、
と思います。

それが来週なのか来月なのか、
1年後なのか5年後なのか10年後なのかは、
ちょっとわかりませんけどね。


という事を思って本日の記事の最初に「ワンダーフォーゲル」を貼りました。
それではごきげんよう、さようなら。
Tomoeでした。



“ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって
 こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく
 強い向かい風吹く

 僕が何千マイルも歩いたら
 どうしようもない僕のこと認めるのかい
 愛し合おう誰よりも
 水たまりは希望を写している”

「ワンダーフォーゲル」/くるり

 

0 件のコメント:

コメントを投稿